クレヨンしんちゃんの普段のアニメはほのぼのとした感じですが、映画はどうも怖さを感じます。
どんな怖さかというと、”IF”を彷彿とさせられるのです。

例えば、雲黒斎の野望という映画がありますね。
あれは、戦国時代で歴史改変をしようとする人がいるため、タイムパトロールの協力を得て戦国時代に行って歴史改変を阻止しようとするお話です。
何も考えずにあの映画を観ると、歴史改変が阻止されて。ハッピーエンドのように見えます。
でも、クレヨンしんちゃんの映画って、どうも怖さを感じさせる演出がふんだんに散りばめられているんですよね。
家を映す時ですら、家を斜め下から光と影を感じさせるような見せ方をしてきます。

雲黒斎の野望をひねくれた目で見ると、戦国時代の歴史改変は阻止出来たかもしれないけど、現代付近の歴史は結局改変されてしまっているんです。
更に言えば、現代に戻ってきた瞬間に敵の一味に囲まれて絶体絶命のピンチになるところをタイムパトロールに助けられていますが、タイムパトロールVS敵の一味の戦闘では、通常の20倍くらいのスーツを着ていて僅差で勝つレベルの勝負なので、「助かったらこうなっていただろう」という感じのストーリーを観させられている気持ちになるのです。

だから、本当はしんちゃん達は戦国時代もしくは現代で勝てなかったのでは?とも思ってしまう訳です。(戦国時代編の最後の敵も、吹雪丸がマヒさせられてしまい、仕方なくしんちゃんが戦っていました。その時の勝利方法も偶然性が高すぎて、勝った場合というIFを観させられた気分になります。)

嵐を呼ぶジャングルも非常に不気味でした。

ひろし達は強制的にアニメを作らされており、その労働内容等に不満を唱えたら猿達にボコボコにされて赤いインクみたいなものが垂れるシーンがありますが、子供の時ですら血と死を彷彿とさせられました。
しんちゃんの幼稚園仲間で、ジャングルを歩く姿も不気味で、本来は生き延びるのは過酷と思われるジャングルを日を跨いで過ごすシチュエーションも、もし生き残っていたらというIFを観させられている気分でした。
終盤では、ケツだけ歩きを複数人で行う事で猿を圧倒するというシーンがありますが、速度が人間離れしているため、人間達の負けを認めているように見えるのです。

何も考えずに観る分には楽しい映画達だと思いますが、物事を素直に見る事が出来ないタイプには不気味さも同時に感じられる作りになっているのが凄いです。